
「あなたのためを思って」と言う人の本音と心理とは?本当は自分のため?
更新日: 2018年10月27日
「あなたのためを思って」と言うことが多い人は、本当に相手の為を思っているのでしょうか?
たまに言われれば身に染みることもありますが、頻繁だとイラっとしてしまい、思わず「余計なお世話!」と返したくなります。
しかもこういう場面は割とあることですが、多くは見過ごされがちです。
そこで、あなたのためを思ってと言われて納得できない気持ちを解消するために、その言葉の背後にある本音と心理についてご説明します。
この言葉を言いがちな人とは?
「あなたのためを思って」というのは、ほとんどの人が最低でも一度は言われている言葉です。
その言葉を言う人で思い浮かぶ代表的な人物は「親」です。
思い返してみれば、子どもの頃に、親によく言われた方もいると思います。
けれど親は、本当に子どものことを思って言うことが多いものです。
そのときは反発しても、後になればありがたいと思えることもたくさんあるのです。
しかし、最近「毒親」という言葉が良く聞かれます。
毒親はといえば、ネグレクトでは問題になりやすいですが、抑圧や支配、過干渉については酷くなければ表面化しないのです。
でも、それが後々子どもの性格や人生に影を落とすことがあります。
もし親が毒親の要素が強かったとしたら、ひょっとしたら、その「あなたのためを思って」は支配と過干渉を行うための言葉だったかもしれません。
このように、「あなたのためを思って」という言葉も、受け取り方や双方の状況や関係性があるので、必ずしも善意の押し付けとは限りません。
でもどちらかといえば、良い印象のないこの言葉の裏にある心理を探るために、親以外でこういう言い方が多い人をあげてみます。
- お節介な人
- 不満が多そうな人
- 依存的な人
- 他人のテリトリーに入り込んでくる無神経な人
お節介というのは、人間関係が希薄なことが多い現代において、貴重なことかもしれません。しかし、良いお節介と迷惑なお節介があるのを、多くの人は感じています。
良いお節介は、「あなたのためを思って」と言ったとしても、その見返りを要求しません。
見返りとは物や心だけではありません。
お節介をした相手が、自分の思い通りに変わらなくても、仕方がないなと思うことはあるかもしれませんが、ねちっこく言い続けたり、いつまでも気にしないのです。
けれど、迷惑なお節介は、相手が拒否してもしつこく言ってきたり、頼みもしないのにやったことを恩に着せたりして、その挙句に拒否されたことで自分が傷つき相手が悪いと、怒ったり悲しんだりするのです。
これは、相手に尽くすふりをした支配と言えないでしょうか?
それなので、この言葉をよく口にする人は、満たされない思いが強い人が多いのです。
「あなたのためを思って」と言う人の言い分
その言葉を口にする人の表面的理由はなんでしょう。
相手のことが好きだから
相手が好きだから、その人のためになることをしたかったという理由が大前提にあります。
相手の役に立ちたかった、もっと喜んでほしかったというのも、人を好きになれば当然思うことです。
しかし、なぜか尽くせば尽くすほど疎ましがられ、最後は嫌がられ別れを告げられてしまいます。
自分の体験や考えからベストなことを、相手に提供している
相手のことが好きになれば、当然その人にもっと幸せになって欲しいのです。
そこで、自分の価値観や体験をもとに、こうすればもっと相手が良くなる、このままでは相手にとって良くないと、いろいろと考えるのです。
すると「あなたのためを思って」お弁当を作ったり、タバコは良くない、お酒はやめてと助言をしたり、相手の出世や仕事の助けになるのではと、いろいろな情報を送ったり、喜ぶだろうと物を贈ったりするのです。
自分が相手をなんとかしてあげたい
せっかく実力があるのに、このままでは相手がかわいそう、もったいないと思うので、自分が何とかしてあげなくてはいけないという思いがあるのです。
自分が関わったことで、相手を幸せにしてあげたいと思うのです。
本音は自分のため
上記のことは、献身的な行為ともとれます。
誰だって、好きな人のためには何かしたいと思います。でも、せっかくの行為が受け入れられず嫌われてしまうような人の本音はなんでしょうか?
自分に自信がない
表面的には、相手の役に立ちたいと思っていますが、自分の価値観や考えを相手に押し付け、相手を操縦しようと無意識に思っているのです。
どうして相手を操縦したいのでしょうか?
それは自分に自信がないからです。
自分の自信を回復するために、相手を利用していると言えます。
何でも自信満々という人はそうそういません。
誰でも、自信がない部分は多かれ少なかれ持っています。
しかし、自己肯定感が低くてそれを改善する方法を間違えると、他人に依存することになります。
もしそれほど自信が持てなくても、自分を大切にする気持ちがあれば、自分の人生を歩くことで満足します。
100%ではないものの、自分にある程度満足し納得し、自分の仕事なり生活を楽しんでいれば、相手がどうであれそれほど気にならないものです。
相手のことに過剰に介入する暇もありません。
しかし自信がなく心の奥底に自己卑下の気持ちが強いと、生活や環境への不満も多く、かといって人生に直面して作っていく勇気もないので、相手に自分の理想の人生を作って欲しいと思うのです。
そして、相手が自分の思い通りにしてくれたなら満足するし、思い通りにならないと辛いだけならまだしも、我慢ならず相手を悪者にすることもあります。
相手の気持ちや考えは考慮しません。
たとえば、相手に今よりもっと待遇の良い会社からスカウトがあったとします。
そして自分は、相手の今の会社がぱっとせず将来的に不利だから、待遇の良い会社に転職した方がいいと思ったとします。
けれど、相手が待遇が悪くても今の会社に愛着を持っていて、そこで仕事することにやりがいを感じて転職したくないと言っても「あなたのためを思って転職をすすめている」と主張し、「常識的には」とか、「普通は」などと自分に都合のよい一般論をかさに着て、説得しようとしてきます。
もちろん「待遇のよい会社の方が将来にもいいと思う」と自分の意見をいうのは良いでしょうが、相手の仕事など、人生の選択において干渉し過ぎるのは、相手の人生を乗っ取ろうとしているのと同じです。
相手を心配するというのは当たり前のことです。
好きな人に良くないことが起きるのが自分のことのように悲しいのは普通の感情です。
けれど、何度も「あなたのためを思って」という言葉を盾に、自分の正当性を主張し、相手に要求するのは、尊重されていないと感じさせて相手を不快にさせてしまうのです。
不安感が強い
たとえば、「あなたのためを思って禁煙してほしいと言っている」と何度も要求するのは、自分がうるさく注意してあげなければ相手が禁煙できないと思い込んでいるのです。
自分が目を光らせていないと、相手がダメになると思っているかもしれません。
まず、そういう気持ちは相手を低く見ている証拠ですが、自分が何かしてあげないと相手が良くならないと思い込むのをはじめとして、〇〇しないと△△になるという考えは不安感から来ています。
確かに火に手を突っ込めば火傷します。
そういう当然の原因と結果ではなく、冷静になれば必ずしもそうではないことを、そうだと思い込むのは失敗を恐れる心が強いのです。
ネガティブになっていると言っていいでしょう。
それなので不安で、好きな人が失敗するのではないか、体を壊すのでは、不幸になるのではと思い込むと、気になりすぎて相手のことを考えずに行動し、結果まで思い通りにしたいのです。
また、相手のために尽くすことにより不安感を解消しているかもしれません。
つまり、自分に直面したら不安や心細さで辛くなるところを、相手に尽くすことで紛らわせている可能性もあります。
相手に認めてほしい
「あなたのためを思って」という言葉の裏には「あなたのために一生懸命な私のことを見てほしい」という押し付けがましい主張があります。
純粋に相手のことを思い、自分の意見を主張する場合は、もっとストレートに「こうした方がいいと思うよ」と話すでしょう。
そこには「私はこう思うけれど、あなたの考えは?」と相手を尊重する気持ちがあります。
または、うるさく言わなくても行動で示します。
自分のためという動機に気づいていない
そもそも、「あなたのためを思って」と言うためには、ある程度の親しさが必要です。
身近な人だからこそ、つい無神経に人のテリトリーにずけずけと入ってしまいやすいのです。
しかし、その言葉を口にする人は、自分が相手のテリトリーに土足で入り込み、支配しようとしているとは気づいていないのです。
それはどうしてでしょうか?
余裕がないから冷静になれない
自信がなく不安が多いと、自分の気持ちを満足させることに精一杯で、相手の気持ちを冷静に思いやることができません。
よく親のセリフで「子どもにはこんな思いをさせたくない」というのがあります。
確かに子どものためを思って親が一生懸命お金を稼いだり、学校に入れたりするのはとても尊い姿です。
けれど、悲しいことに子どもの気持ちが親と一致していないと、最初はこんなに自分のために頑張ってくれることに恩を感じて、親の期待に応えたとしても、いつか「恩に着せないでくれ!」と反発されてしまうことがあります。
これと同じとは言えませんが、相手の気持ちを思いやる余裕がないと、自分の気持ち優先で、相手の選択が自分の思惑と違っていることが認められない心理が、表面的な正義感や愛情という言葉で覆い隠されてしまいます。
つまり独善的になってしまうのです。
それが愛情表現だと信じて疑わない
昔から、他の誰かにそう言われ続け、相手を自分の価値観に合わせるまで注意し続けることが普通になっている場合です。
そしてそれが愛情表現だと勘違いしていることもあり得ます。
「おまえは私の言うとおりにしていればいいんだ」と自分の意思を尊重されない環境に長くいた場合、そうはなりたくないと思っていても知らぬ間に自分も同じようなことを他の人にしていることがあります。
もしかしたら、毒親によって自分を否定され続け、知らないうちに自信を失うことが多かったのかもしれません。
まとめ
善意の押し付けと感じても、相手の取りようでそれを受け入れることもあります。
しかしそれは、あくまで相手もそう思っていたという自主的な意思があった場合です。
また、せっかく相手がそう思っていても、押し付けられるとやる気がそがれてしまうことも多々あります。異性の運気を上げるとか下げるというのも、このような要素が関係しているかもしれません。