
理想の夫婦像とは?【結婚に忍耐はNG!相手を尊重し合える関係が必要】
更新日: 2018年10月27日
理想の夫婦とはズバリ、”相手を尊重し合える関係”です。これは当然、相手を人として尊重することも含みます。
ですが、敢えてここでは”相手の人生を尊重する”という表現を掲げます。
”結婚は忍耐だ”なんてフレーズは、相手の人生を尊重していない人の発言です。そんな古い考えは捨ててしまいましょう。
今の自由な時代だからこそ、夫婦はお互いの人生を尊重し合う必要があるのです。
1.相手の人生を尊重する
”相手の人生を尊重する”とは何か。
それは、相手がどんな人生を送りたいかをきちんと理解し、その実現に注力することです。それができなければ理想の夫婦とは言えません。
そればかりか、”結婚は忍耐である”というような昔の人たちの精神論に行き着いてしまいます。
2.結婚は忍耐
この言葉が生まれた背景とは何でしょうか。
これは相手の人生を尊重していないがために生まれた言葉だと考えられます。
お互いが自分の意見を言うだけで、相手のことを考えなければこういった言葉が生まれるのも無理はありません。
独身というのは自由気ままなものです。
好きなときに好きなことができます。
一人暮らしをしていれば、それを煩く言う親もいません。
友人と遊ぶのだって、本を読むのだって、映画を見るのだって自由です。
ですが結婚をするとそうもいきません。
自分勝手なことばかりをしていると、相手からの不満が積もっていきます。
それが態度に出てくると、今度はその態度に対して自分が不満を募らせることになります。
それが繰り返されるともう泥沼です。
最終的には離婚にまで至るケースもあるでしょう。
だからこそ、既婚者はよく口を揃えてこう言います。
”結婚は忍耐だ” と。
確かに結婚生活において我慢をしなければならない時もあります。
友人からの誘いを断らなければならない時もあるでしょう。
自分がやりたいことをさせてもらえないこともあるでしょう。
しかしそれら全ては、本当に我慢しなければならないことなのでしょうか。
ただただ耐え続けるしか道はないのでしょうか。
私は違うと断言します。
自分にやりたいことがあるように、相手にもやりたいことがあるのが当然です。
そのやりたいこと同士が衝突することで一方、または両方が我慢を強いられ不満が生まれます。
ここで大切なのが冒頭でも述べた”相手の人生を尊重する”ということです。
相手を尊重することで、結婚生活の中にまた違った景色が見えてきます。
3.私たち夫婦の話
私事で恐縮ではありますが、ここで少し私たち夫婦について書かさせて頂きます。
私は26歳の既婚者です。妻も同じ年で子供はまだいません。
私の妻はとても多趣味です。
職業は保健師ですが、週末は着付けの教室に通っており、地域づくりの運動にも参加しています。また、農業にも取り組んでおり、畑を借りて野菜を育てています。
将来は地元にカフェを開き、自分の畑で取れた野菜で自給自足の生活をするのが夢だそうです。
そのためにも、近い将来田舎に引っ越すことを希望しています。
しかし、今私たちが住んでいる場所は某県の市内であり、職場も県内の主要駅の近くです。田舎に引っ越すとなると、色々と我慢しなければなからないことが出てきます。
今の職場からは当然遠くなるため、通勤時間は増えてしまいます。
そして、引っ越しを期に妻は仕事を辞める予定を立てており、その場合世帯収入は下がります。
妻から仕事を辞めて田舎に引っ越したいという希望を聞いたときは正直困惑しました。
真っ先に考えたのはお金の不安です。
私の努めている会社はいたって普通の中小企業。
妻もパートはすると言っていましたが、私のまだまだ勤務歴も浅く、一人で二人分の生活費を稼ぐのはかなり難しい状況です。
そういった現実的な問題が浮かび、引っ越しに反対しようとも思いました。
しかし、こうも思いました。
ここで反対をしてしまったら、相手の人生の選択肢を狭めてしまうのではないか。
人は誰しもやりたいことがあると思います。
私は結婚する際、「結婚しなければこれができたのに」ということを相手が思わないようにしたいと考えていました。
結婚したがために人生の選択肢が狭まってしまうというのは馬鹿げています。
今まで一人で生きていた人生を二人で生きていくこと、それが結婚です。
一人ではできなかったことも、二人でならできるようになります。
そう考えると、人生の選択肢は増えこそすれ、減ることはないと思いませんか。
私はそう確信しています。
だからこそ、引っ越しの話が出た時も妻の人生を尊重しようと決意しました。
これは決して忍耐ではありません。
引っ越しをした場合のことを色々調べてみると、郊外のため現在よりも安い家賃で同じくらいの広さのアパートが見つかりました。
通勤時間もバス通勤が電車通勤になるため、距離は離れていても所要時間にそれほど差異がないことが分かりました。
もし子供ができた場合も、今住んでいる市では待機児童の数がかなり高いのに対し、引越し先では心配なさそうな状態であることが分かりました。
加えて、趣味である車のドライブも田舎のほうがストレスなく走れます。
これならなんとかなりそうだぞ、と思い引っ越しを決意しました。
一人では歩むことのなかったであろう田舎暮らし。
今までとは違った生活になるでしょう。
最初こそ戸惑いがありましたが、今では人生おいて新たな選択肢を与えてくれた妻に感謝すらしています。
4.自由な時代だからこそ
現代は自由な時代と言われます。
インターネットの普及によって、生活は大変便利になりました。
遠く離れた相手ともコミュニケーションが取れるようになり、世界の距離は確実に縮まりました。
会社に行かなくても仕事ができるようになりました。
ほんの数十年前までは考えられなかったような生活スタイルが、どんどん広がりを見せています。
今までの常識が常識でなくなる時代がきたと言っていいでしょう。
だからこそ、人生の選択肢を狭める必要はないのです。
視点を変えれば全く違う世界が顔を出し、それを歩むだけの社会基盤ができつつあります。
夫婦の形もこれからはもっと多様化していくでしょう。
夫だけが働くというのは既に古い考えですが、働くという選択肢に会社しかないというのも何だか寂しいです。
私たちの世代は、お互いのやりたいことについて真剣に考え、かつそれを実現できる時代を迎えようとしています。
私の例では妻の田舎暮らしがきっかけでしたが、選択肢は無限にあると思います。
5.理想の夫婦
何度も述べましたが、理想の夫婦とは、”相手の人生を尊重し合える関係”です。
それを実現するためには、相手がどういった人生を歩みたいのかをしっかりと分かってあげることが大切です。
そのためにも、夫婦間のコミュニケーションは不可欠です。
日常の何気ない会話の中にもそれは見え隠れしています。
当然のことではありますが、うまく行っている夫婦ほどコミュニケーションは活発です。
コミュニケーションが不足している夫婦でうまくいっている例というのは殆どないでしょう。
ちなみに、ここでのコミュニケーションというのは口数ではありません。
どれくらい相手のことを考えているかです。
内向的な夫婦であれば、口数も多くはないでしょう。
ですが、きちんと相手のことを思っていれば問題ありません。
自分の希望だけを一方的に喋ってコミュニケーションを取ったつもりでいるパターンが最も危険です。
会話のキャッチボールという言葉がありますが、一方的に喋るだけの会話はキャッチボールではありません。
ドッヂボールです。
ボールに当たれば(相手の琴線に触れれば)アウトです。
これはもうコミュニケーションではありませんよね。
夫婦とはこれからずっと連れ添っていく関係です。
時には相手の人生設計なんかを聞いてみてもいいのではないでしょうか。
思わぬ世界が開けるかもしれませんよ。